古いアルバムの写真をディジタル化

5年ほど前に、学友と逢ったときに、「古いアルバムの写真は、すべてディジタル化した」と聞いて、こちらもいつかはそうしようと思いつつ、いまになってしまいましたが、このところ、プリンターのスキャナー機能でディジタル化を始めました。
押し入れで場所をとっている30冊ほどある古い(モノクロやカラーのフィルムを印画紙にプリントした写真の)アルバムから、1枚ずつ剥がせるものは剥がして、できないものは、アルバムのページごとに、子や孫の代はともかく、自分が生きている間は懐かしくて、残しておきたいもののディジタル化です。
 
1冊で、ほぼ2、3時間かかります。撮影日時や場所の添え書きのないものもあります。
 
もっとも古~い写真に、大正生まれの亡父の幼稚園時代の写真がありました。106.png
代々、少なくとも江戸時代末から、有田焼で有名な佐賀・有田町(旧称:有田皿山)に住んでいたことはわかっていますが・・・
 
日本で、幼稚園は、最初は、明治時代の後期に、多くは外国人宣教師によって、国内の現在の主要な都市で、設立されたようです。
有田は、山間の小さな町ですが、そこで制作される陶磁器は、かつては欧州の王侯貴族にまで愛され、欧米との交流があって、感化を受けたと思われます。
 
なお、川下の伊万里港から積み出されたので、古いものは古伊万里、また、伊万里焼とも称されてきました。
 
幼稚園の設立者、深川六助は、現在の有田焼ブランド「深川製磁」につながる深川一族のひとりで、夫婦ともにクリスチャンで、幼児教育にも熱心だったようです。
 
それに、焼き物生産工程では、絵付けは、おもに女性の仕事でした。子どもを預かってくれる幼稚園はありがたい存在だったのでしょう。
 
こんなに細かい仕事なんですよ。ぜひ、ご覧になってください。
 
深川六助は、左上の貼り付けのひげをはやした人です。地元の賢人と評されたとのこと。
亡父は大正4年生まれで、有田幼稚園は大正8年設立。4歳のころの第1回生の記念写真だったかもしれません。
この写真で、男の子の最前列で、左から(男の子の)2人目。きちんと当時の和服を羽織っています。
この春から幼稚園に通いはじめた(祖父からいえば)曾孫(3歳)と比べると、1歳ほど年長のようにみえるので、たぶんそうだろうと思いつつ観たことです。
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この幼稚園には、しらこばとも通いました。いっしょにお手々つないで通っていた女の子は、その後、園長さんになりました。
 
俳句:
 
ふるさとの山を思い出しつつ・・・
 
裏山に 向かひてひよん笛 涙拭く 功雪(しらこばと) 瓢の笛は晩秋の季語です。