今日も夏日でした。
お昼から、かつての畑の跡地の付近(隣の草加市)まで、数kmをドライブしてきました。
越谷市のレイクタウンもかつては、一面に広がる田んぼでしたが、隣接する草加市の北東部は、古くから柿木(かきのき)田んぼと称され、いまなお、田畑があります。
この時期、越谷市を流れる逆川(葛西用水路の分流)の下流の水門を閉めてできた瓦曽根溜井から数本の支流へ用水が流されます。
近所の東京葛西用水が先日から水が流れ始めていましたが、今日行ったのは、さらに東側を流れる八条用水から引水している田んぼです。
10数年通いなれた道を走っていると、やはり田植えが始まっていました。
撮影の許可を得て、田植えの風景を撮ってきました。
育苗箱で、きれいによく育った早苗です。
家族の皆さんで田植え作業をされていましたが、やはり、主役は現役のお爺ちゃん。👍 お嫁さんやお孫さんたちも応援に来ていました。
昔は、それこそ家族総出で手植えをしたというのに、いまは、すべて、機械がやってくれますね。
早苗のセットが済んだら、いっしょにすき込む肥料まで・・・
きれいに、みごとな田植えができていました。植え筋とは異なる、斜め横から撮っていますので曲がって見えますけれど・・・(苦笑)
望遠で撮っていますので、越谷レイクタウンの住宅は、1km先です。
そして、住宅の手前の地名には、千疋(せんびき)という名がいまなお残っています。
千疋? 東京近辺にお住まいの方は、ご存じの超有名な高級果物店「千疋屋」の発祥の地です。
以下、ウィキペディアより・・・
1834年(天保5年)武蔵国埼玉郡千疋郷(現在の越谷市東町およびレイクタウンの一部)で大島流槍術の指南をしていた侍・大島弁蔵が江戸・葺屋町(現・日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、地名にちなみ“千疋屋”の屋号で果物と野菜類を商う店を構える。現在でも、隣接する埼玉県草加市北部に、わずかな面積であるものの、この「千疋」の地名が残っている。
俳句:
田一枚 植て立去る 柳かな 松尾芭蕉
以下、余談・・・
「おくのほそ道」の(現在も那須町芦野に残る)遊行柳で詠んでいます。
彼に遡ること500余年も昔、ここで、西行法師は、「道の辺に 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ 立ちどまりつれ」(新古今和歌集)と詠っています。
この和歌を踏まえての芭蕉の句ですね。👍
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