ふたりの力持ち もうひとり

当地のふたりの力持ちの話です。
 
昨日は、まさにいまの当地一番の力持ち、阿炎関について掲載いたしましたが、もうひとりは、江戸時代の日本一の力持ち三ノ宮卯之助です。
 
さいたま市岩槻区に隣接する所の地名、三野宮(元・岩槻藩領三野宮村)に、いまから215年ほど昔、江戸時代の文化4年(卯年)に誕生。名は卯之助。三ノ宮は姓ではなく地名を冠して、三ノ宮卯之助として、18歳にして、力石50貫(188kg)を持つという記録あり、その後、数え年48で没するまで、力持ちとして各地を巡ったとのこと。
 
物の運搬に、人力が必要だった時代、力持ちの存在は大きく、若者は競って、力をつけたのでしょう。また、地域の行事や祭礼の催しやその資金作りにもひと役担ったのでしょう。娯楽にもなり、地方興行も行なわれていたことが、文献に書かれ、絵にも描かれています。
 
卯之助は、生まれつき虚弱で、小柄で非力なため周囲に馬鹿にされていたそうですが、一念発起し猛稽古に励むうち頭角を現し、ついには江戸を代表する力持ちとなったと言われています。
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28歳のときには、江戸深川の八幡宮境内で、第11代将軍家斉ご上覧で、力持ちの栄を受けたといわれています。
 
力持ち番付では、29歳で関脇、41歳のとき、東の大関にまで上り詰めています。当時、横綱という地位はなく、最高位
 
現在、卯之助が持ち上げた力石は、埼玉県はもとより、東京都(深川・富岡八幡宮)、神奈川県(川崎・川崎大師、鎌倉・鶴岡八幡宮)、長野県(下諏訪・諏訪大社)、大阪府(大阪・大阪天満宮)、兵庫県(姫路・魚吹八幡神社)などなどの主に神社の境内に、「三ノ宮卯之助」の銘が刻されたものが40個ほど確認されているようです。
 
市内では、三野宮香取神社に4個残っています。
 
しばしば詣でる地元の鎮守の森の久伊豆神社にも、奉納された力石が鎮座しています。
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「奉納 天保二辛卯年(1831年)四月吉日 三ノ宮卯之助持之 五十貫目 本町 會田権四郎」と刻されています。
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俳句:
 
力石 花の下にて 幾年ぞ 功雪(しらこばと)