文月六日

きょうは、旧暦で文月六日(7月6日)。あすが七夕
 
日本経済新聞の1面のコラム「春秋」を読み、下記の芭蕉の俳句が掲載されていたので、ああ、そうだったかと気づいた次第です。
 
当方、5月16日(旧暦弥生二十七日)に「おくのほそ道への旅立ち」と題して記事掲載をしていました。あれから3か月余。
 
松尾芭蕉は、おくのほそ道の最北の地、現在の秋田・にかほ市の象潟を訪ね、南下して、越後の国に入り、越中の現在の新潟・上越市中央町(旧直江津今町)までたどり着いたところで、
文月や 六日も常の 夜には似ず」と詠んでいます。
 
句意は、「七月も六日、明日は年に一度の、織姫彦星逢瀬の日で、いつもとは違って、艶めいた趣きが感じられることよ」
でしょうか。(苦笑)
 
しらこばとは、幼いころ、祖母に聞かされて、ほんとに、天の川を渡るとばかり思っていました~(笑) 
ふたつの星が接近することはありませんね。
 
織姫=こと座の「ベガ」と彦星=わし座の「アルタイル」は、およそ15光年も離れているということです。
光の速さで出かけても、歳をとってしまう~ 興覚めでスミマセン。
 
そのあと、芭蕉は、およそ70年の後には良寛さんが誕生した出雲崎の地で、かの有名な「荒海や 佐渡によこたふ 天河」の名句を残しています。
 
これまたオチがありまして、この季節には出雲崎から佐渡島にかけて、夜に、はっきりと天の川がよこたうことはなく、まして、荒海の日に快晴であるはずもなく、あくまで、心象風景として詠んだのでしょう。
 
この絵は、「おくのほそ道」を英訳されたドナルド・キーン氏の「The Narrow Road to Oku」という対訳本の1ページからスキャンしましたが、1ページものの挿絵で、切り絵の大家、宮田雅之氏の作品です。
 
この書のたくさんの挿絵(切り絵)は、彼の代表作のひとつです。
 
すぐに気づくことは、かの有名な浮世絵師・葛飾北斎富嶽三十六景のひとつ、「神奈川沖浪裏」ですね。
模倣されての作品でしょう。
ここでは、富士に代わって、佐渡島が奥に小さく描かれています。
文月六日_e0413146_15271837.jpg