兄弟家族で墓参&行楽 その2

18日は、皆で、朝から、ホテルの近くの「小石川後楽園」を散策しました。
正門(西門)から入園しました。
入場券売り場の向かいのつくばい(蹲踞)の前に、ちょうど、係の人が並べられたところで、牡丹を観賞。

園内は、桜は散って、モミジの若葉がまぶしいくらいでした。
春夏秋冬、10回ほども訪ねて、園内は隅々まで知っているので、初めての4人に、園内の見どころを教えてあげて、足痛の私は、待機しつつも、なんとか行けるところまで巡りました。
徳川光圀公の旅は、水戸、江戸、日光、房総、鎌倉あたりまでの現在の関東地方内で、水戸黄門の諸国漫遊は作り話ですね。
小石川後楽園は、水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園です。
 
皆と分かれて、紅葉林でひと休み。ベンチに座って撮影した池(大泉水)の蓬莱島です。江戸時代築庭の池には、よくある中島です。
古い中国の思想にある、遠い海に不老不死の仙人が住む島があり、その島に聳える山が「蓬莱山」と称されていたそうです。
 

望遠で撮りましたが、大泉水のほとりにある大きな異形灯篭です。

舟着場の近くにあって、舟から月見の折の灯台の役目もあったそうです。また、当時、月は、水面に映る月を愛でたのだとか。

少しは歩こうかと、ゆっくりゆっくり、東門のある方の内庭まで行きました。
途中、この季節の花、卯の花(ウツギ類)が咲いていました。
葉が対生なので、ヒメウツギだと思います。

木曽川を模した流れです。
水は落ちていませんでしたが、木曽路の名所「寝覚めの床」にちなみ、「寝覚滝(ねざめのたき)」と呼ばれています。

前来たときは、内庭の唐門の復元の案内を見ていましたが、3年前に復元・公開されていました。
かつては閉ざされていた東門は、現在は入園できるようになっていました。
内庭の池を巡って、この門から入門ということですが、門は閉められたままで、右手から、園内に入るようになっていました。

内庭の池には、もう、睡蓮の葉がいっぱい浮かんでいました。

門の背面の妻壁には錦鶏、欄間には牡丹が彫刻されていました。そのこともあって、西門に、牡丹の花が置かれていたのかな・・・
ここを出たところで、ひと回りしてきた皆と合流。

再び、紅葉林へ戻り、鳥(シジュウカラなど)の声を聞きながらひと休み。
ちょうど、お昼になったところで、入口にある、江戸の頃には茶屋だった涵徳亭(かんとくてい)で食事となりました。
 
門を出たところで、(皆はもう1泊でしたが)私だけ失礼して、(足が痛いので、地下鉄を乗り継いで帰るのはやめて)タクシーで自宅まで、高速道路を利用して帰りました。
 
兄弟家族との久しぶりの楽しい集いでした。皆、このたびのプランに満足してくれて、昨夕は、それぞれ帰宅したところで、お礼の電話がありました。