梨園の思い出とセイヨウミツバチ

梨園(りえん)ではなく、梨園(なしえん)の話です。(笑)
 
注文していたが届きました。親戚や息子宅へも送りました。
当地から中川、江戸川を渡ると千葉県の北西部ですが、その一帯は梨の産地です。
(二十世紀梨が発見された)松戸市をはじめ、鎌ケ谷市白井市市川市などが代表的な生産地です。
届いたのは、「あきづき」という二十一世紀生まれ(2001年品種登録)の新しい梨です。

みなさん、スーパーなどで目にされる「幸水」と「新高×豊水」の交配によって作出されたということです。
なお、二十世紀梨のが「幸水」で、ひ孫が「豊水」だそうです。
この「あきづき」ですが、1kgのもあるという「新高」には及びませんが、400g~500gほどで、大きくて、酸味が少なく、美味しい梨です。
7個も入っていて、一人では食べきれないのでお隣へ2個差し上げました。
 
じつは、株式会社を創立して15年ほど経って、還暦を過ぎた頃から、後継者に譲って徐々にリタイアしようとしていた頃のことでした。
妻が習っていた書道の作品展の会場(公民館)の外で、地元の産物の販売コーナーがあり、蜂蜜を売っていたふたりと出合いました。
聞くと、広い土地を借りて趣味の畑作養蜂をしているということで、帰途、付いて行きました。
巣箱(1箱に3万匹ほどの蜂)が100箱ほどもありました。畑作も養蜂もいずれも面白そうなので仲間に入れてもらったのでした。
 
その後、手伝いをしていました。養蜂は、蜂蜜を絞って、瓶詰めの商品の販売が主でしたが、梨や苺の人工受粉の代役に、巣箱を貸し出してもいました。貸し蜂と言っていました。
松戸市の梨園に貸し出したときの写真です。

梨の花と蜜蜂です。後ろ脚には花粉団子を付けています。
梨の花には、花蜜は少なくて、あまり、採蜜はできません。
ところで、梨蜜は果汁を煮詰めたもので、花の蜜ではありませ~ん。(笑)

畑の光景です。畑と養蜂場を合わせると、この倍くらいの広さでした。

養蜂場の巣箱。

残念ながら、後に、一帯が工業団地となり、借地でしたので、引き渡さざるを得なくて、畑地の100本もの豊後梅ともどもなくなりました~

人生の後半の10数年に及び、いろいろと楽しいことがありました。
敷地の半分は、バラ栽培農家の一家が借りて、台木となるノイバラを育てて、名品のバラの接ぎ木をされていました。バラの栽培方法も、プロにその場で教わったことでした。
畑の相棒には、畑作養蜂をいろいろ教わりました。
セイヨウミツバチの習性は、観察しつつ、読書でも学び、いまもよく覚えています。いつかセイヨウミツバチのおもしろい習性を記事にしてご紹介したいと思います。
 
今日の名言:
 
思い出というものは人間が時間に贈与できる唯一の形式であって、過ぎていった時間というものは、それを偲ぶ思慕者の心の幅によって拡大されていってとどまらない。 檀一雄(小説家、作詞家) 「魔笛」より