Happy 80th Birthday to me !

私事ながら、おかげさまで、元気で無事故で、傘寿を迎えることができました。
満年齢で大台に乗りました。今宵は、ひとりぼっちのお祝いですが、今度の日曜日には、息子夫婦に孫たちとHappy Birthdayのお祝いをしてもらいます。

 

80年を振り返ると、辛苦は忘れて、幸いにも、おもしろいこと、楽しいことの多い人生でした。なによりも、手塚治虫の鉄腕アトムを読み耽った小学生時代から中学・高校まで12年皆勤に始まって、以来ずっと、健康で過ごせたことかな。
大学は、希望した京都の大学には「桜散る」ばかりで、九州の某大学に拾われて、「計測と制御」を学び、その後、コンピュータの揺籃期から携われることができ、その進歩とともに、60年ほど、歩き続けたコンピュータ人生でした。おもに、工場や公共施設の計測と自動化のシステムでした。H2Aロケットにも関われる機会がありました。
 
以下は、My historyの画像です。
戦時中に誕生。それでも、母の実家が三池炭鉱全盛のころの福岡・大牟田市の金物問屋で裕福で、父は銀行員。大事に育てられました・・・
これは80年前の自分の揺籃期。戦時下での初節句。たぶん、写真館での撮影。
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小学6年生のころ。
手前の次弟は、後に最大手の建設会社の設計士・現場監督で活躍。
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こんな20代もありました。
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学生時代に、それはそれは優しい人と知り合い、それからまもなく、26歳で、その愛するひとと結婚。
結婚してから古稀まで一度たりとも口喧嘩などすることなく仲良く暮らしましたとさ。
彼女の最期の言葉は「楽しかった。おもしろかった」。👍
 
結婚後、なかなか子宝に恵まれす、市立病院で、彼女が不妊症の治療をしていただき、結婚から12年目にして男の子に恵まれました。可愛いかわいいで育てた40代でした。
息子の揺籃期。左は姪っ子。
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そんなわけで、今頃になって、孫ふたり。それだけに、可愛くて、楽しんでいます。いまは、ディズニーやNintendoのキャラクタを孫に教えられているところです。
卯年の干支のうさぎの耳とひげは、孫のママのいたずら。
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以上、80年の数コマ(含む、三代の揺籃期)でした。102.png
 
今日の名言:
 
人生は一冊の書物に似ている。 
愚か者たちはそれをパラパラとめくっているが、 賢い人間はそれを念入りに読む。 
なぜなら、ただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから。  ジャン・パウル (ドイツの小説家)