帰省・葬儀 その2

このコロナ禍の2年半以上、バスにも電車にもタクシーにも乗っていなかったので、さらに飛行機で、果たして無事に往復できるか心配でしたが、なんとか、務めも終えて、帰り着きました。
 
兄弟と、弟の妻の4人、同じホテルで4泊してきました。
夕食は3晩、皆で、久しぶりに郷土の料理を堪能してきました。これは、玄界灘に面した佐賀・唐津市呼子(よぶこ)の港で上がったイカです。
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透き通ったイカの刺し身は久しぶりでした。頭は、唐揚げしてもらいました。旨かった~
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父の転勤で、かつて住んでいた、佐賀城下の武家屋敷だった中の小路(なかのこうじ)という由緒ある地に在った社宅も懐かしくなって、兄弟いっしょで、立ち寄りました。
小・中・高まで住み、水遊びをしたきれいな小川もありました。
カワニナ(蛍の幼虫の餌)や水藻も昔のままで、いまも蛍が飛んでいるのかも知れません。
相撲やビー玉や竹馬で遊んだ地面もそのままで、昔の記憶が蘇りました。
記憶力は、まだ半分ほどは残っているようです。(苦笑)
 
父が務めていた銀行の支店ですが、それもまだありました。前身の銀行の本店であった時代もあり、立派な建物です。いまは、未使用の歴史的建造物。
当時は、算盤(そろばん)で、1円合わなくても、一日分、やり直しだと、父は言っていましたが、いつも遅い帰宅でした。
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かつてのアーケードーの商店街もなくなり、シャッター通りとなっていましたが、シャッターには、佐賀インターナショナルバルーンフェスタのバルーンが描かれていました。
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マンホールには、有明海の干潟に生息するムツゴロウ(ハゼ科、全長15cm~20cm)が刻されていました。
有明海は干満の差が6mほどもあり、ムツゴロウは、満潮のときは、巣穴に潜り、干潮のときは遠くまで広がる干潟で飛び跳ねて移動します。伝統漁法で漁獲して、蒲焼は郷土料理のひとつです。
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これは、全国的に生育していますが、とくに、佐賀平野のお濠や池や淀んだ川で、よく見られるの葉です。三菱のマークは、この菱の実(葉という説もあり)をアレンジしたものです。ひな祭りなどの菱餅の形でもありますね。実は茹でるか蒸して食べます。
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帰りも飛行機で帰りました。東京湾上空を降下しているとき、東京ディズニーリゾートを眼下に見て、羽田空港に着陸。帰りも、リムジンバスを利用して帰り着きました。
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