行乞

熟していたピラカンサの実を一日で、食べ尽くされました。間違いなく、ヒヨドリの仕業。
そして、メジロも、周りに餌がなくなったとみえて、2羽で餌台のミカンを食べに、日がな訪れていました。
 
もう、たびたび写す根気がなくなったのと、先日求めた加湿器で、外気に接したガラス窓は曇っていたので、かつての写真です。
今日は、このモミジや、梅の花芽が付いていない枝先を剪定しました。
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庭先を見回ると、チューリップと百合の芽がツンツン・・・
少し早いんじゃないのと、ふかふかの培養土を被せました。
 
今日の俳句・名言:
 
行乞の 雲水 雪に潔し(ぎょうこつの うんすい 雪に いさぎよし) 森永杉洞(さんどう)
 
行乞: 僧侶が乞食(こつじき)をして歩くこと。托鉢(たくはつ)
雲水: (雲のごとく、さだめなく、水のごとく、流れてやまず)諸国を修行して歩く僧。 
 
森永杉洞(さんどう): 明治33年~昭和50年。僧侶、俳人。佐賀・伊万里市にある円通寺の元住職
亡き叔父(伊万里出身)が老師と慕っていて、俳句の師でもあった御方です。
叔父の縁で、亡父が、書いてもらって(雲水の絵も描かれていて)、故郷の家の柱にその短冊がありました。
京都の南禅寺の管長になる資格をもちながら、栄達の道を選ばず、禅寺、円通寺の住職として生涯を送った方です。どこか、良寛さんと相似たところがあります。

南禅寺に、”この門を入れば 涼風 自(おの)づから”の大きな句碑があります。句碑までも南禅寺に入りたくなかったのか(笑)、句碑を門から入れるのに、狭くて通らず、作業された方々や寺の方々は、ご苦労されたのだとか。「この門・・・」の句碑は、たまたま、通りかかって、立ち寄った埼玉・深谷市の国済寺で、出合ったことがあり、これも何かの因縁かと思ったことがありました。