晩秋になって、青空が続いているところで、孫Ⅱの初宮詣に同行しました。
孫のパパのときから安産祈願、初宮詣、七五三詣とお参りしてきた地元の総鎮守(久伊豆(ひさいず)神社)へ・・・
七五三詣のご家族といっしょに、本殿で、祈祷し、お祓いを受けてきました。
(ついこの前、初宮詣をしたような気がする)孫Ⅰも、「頭をお下げください」で、すぐに、ぴょこんと下げて、「お上げください」まで、神妙にしていました。その仕草に・・・
実は、4歳になったばかりで、数え年5歳で祝うと、七五三もいっしょでよかったのですが、来年の楽しみになっています。
この鳥居は、参道の一番奥にある鳥居で、伊勢神宮より撤下された内宮板垣南御門の古材を拝領して、平成7年に建立されました。
なお、この神社の創建年代は不詳ということですが、平安時代中期には、武蔵七党のひとつからも崇敬されていた由。
のちに、徳川家康・秀忠・家光も鷹狩の折には、参拝、休憩をしたそうです。家康は、近くに、越ヶ谷御殿も建てていましたが、四代将軍、家綱の時代の江戸の明暦の大火(振袖火事)で、江戸城も消失したので移設されたとのこと。
そこで、葵の御紋、ここでは、立葵が下されて、神紋になっています。これは、本殿の屋根ですが、社殿だけでなく、お守りの袋にまで、いろいろなところで目にします。
初宮詣の主人公ですが、まだ、生誕2か月半。でも、もう、首は座っていますが、もちろん、この日は抱かれたまま。
池の周りには、国学者、平田篤胤(あつたね)遺愛の樹齢200年余の藤の棚があり、仮寓もあったとされています。遺徳碑の前には、土井晩翠(荒城の月の作詞者、作曲は滝廉太郎ですね)が、この地を訪ねた折に詠んだ歌の碑があります。歌碑は昭和17年建立で、背面には、平田篤胤研究会と記されています。
「気吹の屋 いつのみ霊の 宿れりし あと なつかしき 越ヶ谷のさと」と刻されています。
気吹の屋: 神様が、罪やけがれを祓う場所。気吹は、いぶき(古代は、いふき)と読みます。平田篤胤の号が気吹舎(いぶきのや)と称していたことを踏まえて詠んだのでしょう。
いつのみ霊(みたま): 天照大御神の別名の中に、厳之御魂とあり、その読みでしょう。