哀悼 & それでも歩く

一昨日、トルコ・シリア地震の死者4300人と記したばかりでしたが、先ほど読んだばかりの夕刊では、死者1万5千人超の見出し。犠牲者に哀悼の意を表します。
 
彼の地にも、遺児が、何十人、何百人にも達して、「すずめの戸締まり」の主人公のような思いで、これからの人生を生きてゆくことでしょう。出会いと別れは、生きとし生けるものの定めなりとは言うものの。
 
実は、友人から訃報を昨日受け取ったばかりですが、そこに記されていたのは、あまりにも悲しい出来事でした。
ご子息のお嫁さん(教師)が、わが実母と同じく、心臓発作で亡くなられたという訃報でした。享年44歳とのこと。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
遺されたお孫さんは、小学生の男の子。どうか、ご子息もお孫さんも、たくましく生きてほしいと切に思います。
 
生きていると、歌の文句にもあるように、喜びと哀しみは背中合わせ。
一方、愛する人がいれば、喜びは倍に、哀しみは半分になるというけれど、永く生きてきたわが身も、それは実感するところ。
 
独りになっても、哀しみを乗り越えて、歩いていれば、嬉しいことにも出会えるっていうこと。
 
ということで、筋トレウォーキングを開始して、お江戸日本橋を出立したのは、ちょうど2年前の1月末でしたが、ようやく、2月1日、東海道五十三次を踏破して、京師(けいし=京の都)の三条大橋にたどり着きました。
といっても、スマホの歩数計(東海道五十三次)アプリでのカウント値です。全長約492km。昔の人は、15日ほどで歩いたというのですから、恐れ入谷の鬼子母神です。146.png
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浮世絵師、歌川広重の京師の絵です。川は加茂川、山は東山三十六峰、遠くの山は比叡の山ですね。
あの山の麓、(当時、岩陰に小さな池があっただけの)宝ヶ池のすぐ近くで、青春時代に1年ほど暮らしました。いや、某大学に挑戦して、浪人生として勉強しましたが、夢叶わず。でも、都落ちして、優しい〜妻との出会いあり。人間万事塞翁が馬 105.png
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到着したあと、スマホの画面では、すぐに、東海道を江戸に向かって下り始めています。哀しくとも、歩き続けましょう。犬も歩けば棒に当たる。幸運も不運もあるさ、ということで・・・