桃の節句

今日は、桃の節句ひな祭りの日ですね。
実は、わが兄弟も子どもも初孫も男ばかりで、おひな様に縁のない家系でして、おひな様は、妻の遺作の木目込み人形、九州の博多人形(豆雛)、故郷の有田焼の人形があるだけです。それも、年中、棚に飾ってあります。(苦笑)
 
博多人形のひとつで、博多豆雛です。
高さは、つまようじの長さ未満です。
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わが町(埼玉・越谷市)は、市のWebページに、以下のように記されているとおり、越谷ひな人形として、県の伝統的手工芸品の指定を受けているんですよ。
 
「現在のようなひな人形は、江戸時代の享保年間に、京都で考案されたのが始まりといわれています。
 
このひな人形は、宝暦年間に江戸にもたらされ、江戸の人形師の手によって、京風とは異なる独自の優美さを持つひな人形として発達してきました。
 
最初のひな市は、江戸の十軒店(今の日本橋室町)を中心として、尾張町、浅草茅町、池の端仲町、麹町などで開かれていました。
 
越谷ひな人形の起源は、今から200年以上も遡る安永年間に、越ヶ谷新町の会田佐右衛門という人が、十軒店で製法を学び、越谷の地で製作を始めたことに由来するといわれています。
 
その後、越谷ではひな人形づくりが盛んになり、ひな人形を扱う店が多数軒を並べるようになりました。
 
そして、江戸の十軒店、埼玉・鴻巣、越谷で開かれるひな市は「関東三大ひな市」と呼ばれるまでになりました。
 
越谷ひな人形は、昭和58年に埼玉県の伝統的手工芸品として指定されました。」(以上、一部、割愛しています。ひな市はいまでは行なわれていません)
 
なお、隣町の岩槻(さいたま市岩槻区)が、人形のまちとして有名ですが、江戸期に鴻巣宿や越ヶ谷宿よりかなり遅れて発祥したという説があるようです。
 
木目込み人形 妻の遺作
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