芭蕉がおくのほそ道に旅立った日

今日は、松尾芭蕉が、弟子の河合曾良(蕉門十哲のひとり)を伴い、おくのほそ道へと旅立った日(元禄2年3月27日(旧暦)(西暦1689年5月16日)、いまから330年前のことです。江戸・深川の採荼庵(さいとあん)を出発して、船に乗り、千住で降りて、見送りの人々と別れています。
 
採荼庵跡の出立の芭蕉像
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「おくのほそ道」の<序章>、<旅立>に続く、<草加>の章に”(やうやう)草加(さうか)と云(いふ)宿(しゅく)にたどり着(つき)にけり”の最初の宿が、しらこばとの住処の隣の市、草加市で、関連する写真をもち合わせているので、ご紹介方々、記事掲載いたします。
 
いまは、日光街道は、すぐ西に付け替えられていますが、かつての街道(その旧4号線も)は、この松並木の間を通っていました。現在は、草加松原遊歩道(日本の道百選のひとつ)となっています。
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遊歩道には、ふたつの跨線橋(陸橋の太鼓橋)、南に、矢立橋、北に、百代橋が架っています。
矢立は、下記の俳句が、矢立(やたて)の(=携帯用の筆記用具を使った)初(はじめ)として、詠まれたことにちなみ、また、百代(はくたい、ひゃくたい)は、「おくのほそ道」の冒頭の一節にちなみ、それぞれ命名されています。
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遊歩道の南の端にある札場河岸(かし)公園には、芭蕉像があります。江戸の方を振り向きつつ建っています。
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俳句:
 
行春や鳥啼魚の目は泪(ゆくはるや とりなきうおのめはなみだ) 松尾芭蕉
 
今日の名言:
 
月日は百代の過客(かかく)にして、行かふ年も又旅人也。 松尾芭蕉
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