日韓首脳会談

かつての、しょうもないアベ・トランプのゴルフ外交から、一転して、ようやく、もっとも身近な隣国とのまともな日韓首脳会談が開催されて、嬉しく思っているひとりです。
 
昨日、記載した靖国神社の向かいの町で、1年、勤めたあと、独立創業して、すぐの仕事が、韓国・三星電管株式会社(現在のサムスンの一部門かな?)のコンサルタントでした。
足掛け2年で10回ほど、出張しました。おもに、釜山で、1度だけソウルへも行きました。
 
電管とは、当時のブラウン管で、その工場でした。ブラウン管から液晶に変わった現在、どのように変貌しているかは存じません。
あの当時は、日本の生産ラインより、遅れること10年。でも、工場長はじめ、お相手をしていただいた方々には、「あと10年もすれば、日本と肩を並べるようになりますよ」と励ましたことでした。
 
そして、現在、韓国の労働者の実質賃金は、日本を追い越しています。
 
当時、2、3泊の出張でしたが、前後の2日も含めて、5万円/日もいただいていました。もちろんというか、高級ホテルの宿泊代も飛行機の交通費も三星電管に支払っていただきました。
それほど、韓国の工場が、日本の生産ラインを模倣しつつ、追いかけていた1990年のころ・・・
 
その後、しようもないアベ政権で、国交が途切れていましたが、本日、首脳会談が開かれるに至ったのは、喜ばしく、嬉しい限りです。
アンニョンハシムニカ(あらたまった「こんにちは」)だけは、いまも覚えています。104.png
 
九州の幼なじみも韓国の商品の仕入れに、しばしば出かけていましたが、方言には、よく似た言葉や地名があると言っていました。とくに九州とは目と鼻の先で、古くから、相互に行き来があったことでしょう。
遡れば、豊臣秀吉の朝鮮出兵は頓挫しましたが、ふるさとの佐賀・鍋島藩へ連行された李参平は、有田・泉山で良質の陶石(磁器の原料)を発見し、わが国で初めて、(陶器ではない)磁器制作に成功して、現在に至る有田焼があり、ひいては、瀬戸物、そして、ドイツのマイセン焼へも繋がっています。
李参平窯様のページから拝借。「陶祖祭」のひとコマ
日韓首脳会談_e0413146_21540591.jpg
子どもの頃から、李参平は町の恩人として教育されました。
そのようなことも背景にはありますが、自分が、韓国に、いささかなりとも恩返しができたことを、少なくとも、陶工だった祖父は、天国で、喜んでいるはずと勝手に思っています。105.png