日光街道の一里塚

夕方の散歩は、まずは、車で、市の南端まで2~3km走って、川沿いに車を停めて、カメラ片手に散歩してきました。
場所は、一級河川の綾瀬川の川岸で、そこには、日光街道で、埼玉県内では、たしか、唯一残っている「蒲生(がもう)の一里塚」があります。久しぶりに、その一帯をぶらぶらしてきました。
起点のお江戸日本橋から5つ目(=20km)の一里塚です。一里塚には、エノキ(榎)がよく植えられたそうですが、そのエノキのほか、ムクノキケヤキなどの巨樹が聳えています。電線よりも2、3倍の高さです。
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塚の上には、愛宕社という小さな祠があります。何を祈願するでもなく、お参りしてきました。
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いまは、橋も道路も嵩上げされて高い位置にありますが、かつての道から見上げると、塚は、2mほどの高さです。お地蔵さんが並んでいます。右の塔は、”奉供養十三佛・・・宝暦九年九月”と刻されていますので、いまから、260年ほど前の江戸時代中期に奉納されていることがわかりました。
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川岸にあるのは、一里塚のすぐそばにある、もう一つの史跡「藤助(とうすけ)河岸(かし)」で、こちらも江戸時代中期頃から近隣の産物を江戸へ、舟で運んでいたころの河岸を再現・復元されたものです。舟運は、昭和初期まで続けられていたそうです。初代高橋藤助から数えて、十八代目の当主が寄贈されたものです。河岸場の後ろに見えるのは、石蔵で、いまなお残されています。
昭和初期まで、舟運が盛んで、地元の産物が江戸・東京まで運ばれていました。

築何年かは存じませんが、こちらでは、藤助酒店、兼、いまのコンビニのようなご商売を長年続けられています。昔懐かしい、塩、切手などの看板がありました。
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橋の四隅のひとつには、つぎの句を刻した句碑が埋め込まれています。
 
俳句:
 

 
今日の名言:
 
「明日は」「明日は」と言いながら、今日という「一日」をむだにすごしたら、その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません。 亀井 勝一郎(評論家)