市内散策 その2

コシガヤホシクサは、真夏に、綿棒の先より小さい星型の花が咲く水草です。漢字で書くと「越谷星草」です。干し草ではありません。(苦笑)
ご興味がおありでしたら、下記のサイトを覗いてみてください。

 

1日早く実施された成人式の晴れ姿を(また再びの羨望の心で(苦笑))撮って、新本庁舎が建設中の市役所の方へ回ると、外観はほぼ完成していました。

 
ある記念碑の行方が気になっていましたが、旧庁舎の隅に建立されていた碑が、なんと、正面に移されていました。👍
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相扶共濟」と刻されています。市となる前、町であった頃、越ヶ谷順正会という組織が先駆者として、国民健康保険制度を発祥させた地なのです。
その2年後に国民健康保険法が成立したということです。石碑の書は、それから10年後の昭和23年の厚生大臣の筆によるものだそうです。
 
それから、再び、中土手へ出て、長~い花壇でこの時季でも、寒々と咲いているパンジーを眺めながら北に向かい、溜井の上端まで行きました。
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この先は暗渠ですが、向こう側には元荒川が流れています。元荒川の水位は、ここよりもかなり低いのです。
いまなら、ポンプで汲み上げることもできますが、昔の人は、知恵を絞って、川の底にトンネルを造って、別の川(利根川から引いた葛西用水路の逆川)を潜らせています。伏せ越し(ふせごし)という工法です。市内には、この上流にもう1か所あります。田畑への用水を確保するために腐心してきた先人たちの遺産であり、いまなお、利用されています。
ウィキペディアの絵を拝借させていただきます。この地では、この絵の水位が逆転(中央の水位がより低い)しています。
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なお、暗渠の上に建っているのは、徳川家康の「越ヶ谷御殿跡」の碑です。